2010年4月30日金曜日

祖母が亡くなった

最近実家からの電話で祖母が亡くなったと知らされショックを受けた。他の祖父祖母は皆先に亡くなっているので、ついに一人も生きていない、と考えてみると寂しいものである。最後にお会いしたのは今から5年前。娘もその時祖母に会っている(娘は彼女の曾孫に当たる)。あの時会えていて本当に良かったとつくづく思う。


写真の花は、最後にお会いした時に一緒に訪ねた花畑で撮ったものである(確か当時4歳の娘が撮ったもの)。普通はここで黒かグレーの色調で飾るものだが、祖母は非常に明るい性格の持ち主であったので、敢えて鮮やかな色彩のこの写真を選んだ。哀悼の意も込めてお祈りをささげます。

2010年4月19日月曜日

聖餐式

娘がカトリックの聖餐式に参加した。キリスト教徒、特にカトリック信徒の間では非常に重要な儀式である。とはいえ、参加するのは8-9歳の子供たちなので、厳かな儀礼に心をはずませて参列しつつも、どうせ説教の内容は頭の中には入っていないのだが、厳かな雰囲気と正装して参列したことは記憶の中に留まることは間違いなし。

この日に体験すること、見聞きすることが「今日は特別な日なんだ」と心に焼きつくことに貢献するからだ。

きっと皆心の中では「プレゼントは何かなー」と考えていたに違いない。プレゼントもいい思い出となって記憶に残るのでいいことだと思う(それしか覚えていなかったりして)。

ちなみに娘は任天堂DS(XL)が一番気に入ったようである(当然だろ)。お父さんにも貸すという条件で与えたものである(何という親!)。


そして夕食にはお寿司を注文した。それも木船に乗った豪華なやつ(写真)。これは会社のクリパでよく注文するやつをプライベートで取り寄せたもの。





この他にも桶を二つ頼んだので、お腹がはちきれそうになるまでひたすら食べた。







ケーキ も聖書の形をしたものを前もって選び(食べちゃってもいいのかな、なんて)、イタリア風の高級なお菓子も奮発して買ってきた。





それにしても妻の実家の親戚も何人か来てくれたので、非常に賑やかだった。親戚(うちの家族5人を含め)10人と友人家族8人の計18人(半分は子供---19歳の女の子も子供に数えるとして)。一人は(娘の名づけ親の一人)火山灰の影響で故郷からの飛行機が飛ばず来れなかった(電車に乗ろうと中央駅に行くと長蛇の列で切符すら買えなかったらしい)。

参加した友人家族の男の子が(娘と同い年)アコーディオンの曲を披露してくれた。

そして最後はカラオケ(プレステ2)で盛り上がり(盛り上がりすぎ!)、締めくくりとなった。

聖俗入り交じった、面白い一日だった。

2010年4月10日土曜日

誕生日


イースターの一連の事件があったので(先に報告済み)自分の誕生日のことなどとうに忘れていた。誕生日について書く程のトピックスはない。38になったのであるが、中身は18の頃から進歩していないような気がする。

ともあれ、当日は誕生日どころではなかったが(出張から帰ってくると修羅場が待っていた)、プレゼントももらい、それが唯一、誕生日を迎えた証として残った。両親からは背広他の荷物がだいぶ前に届いていたし、娘からは誕生日カードをもらい(何やらドイツ語の詩を引用してくれ2ページにわたって書き写している)、家内からはコーヒー用のミルク泡たて器(これ、自分よりも本人が使うんでねーの?何て思ったりして)をもらい、早速自家製ラテ・マッキャートを作ってみるとこれが実にうまい。うちのコーヒーメーカーはスイスのJura製の本格的なもの(豆を挽くウイーンという音を出し、とろとろとコーヒーが出てくる光景はスタバそのもの)であるが、何せもう買ってから何年も経っているので味が昔ほど良くなく、自分は最近家では殆どコーヒーを飲まなくなっていた(その代わり会社のNespressoマシーンの濃いコーヒーを日に何杯も飲む)。ところが、今回プレゼントでもらった泡たて器(左上写真-Nespresso Aeroccino)がまたも自分のライフスタイルを変えることになった。泡たて器自体、写真の通り銀色の器で洒落た形をしており、スイッチを押すと音もなくいつの間にか泡が出来ているし(泡をたてている間はスイッチが赤く灯るのも、オーディオ機器っぽくて斬新)、手入れも簡単ときている。

このスグレモノの泡たて器でミルク泡を入れたコップをコーヒーメーカーにセットしてエスプレッソを流し込むと、喫茶店のラテのように3つの層が綺麗に形作られ、「俺ってバリスタ~♪」なんて勘違いして気分まで良くなってくる。

しばらく我が家のコーヒー消費量がまたも増えることになりそうである。

2010年4月9日金曜日

イースター休暇

イースター休暇について報告。既に月曜日でイースターは終わっているのだけど、とてもブログなど書いている暇ないほど忙しかったのである。来週の月曜日まで休暇をとっているので、ようやく時間が出来たのであるが、ともあれ、以下状況。

まず、4月1日の木曜日は、自分の誕生日だったのだが、前日からスイスのチューリヒに出張し、1日の午後は半日休暇を取得。朝ホテルでチェックアウトする時にホテルの人が「Happy Birthday」と祝福してくれ、コーヒーを一杯(ついでに上司の分も一杯注文し)ご馳走になって、その日は気持ち良くスタート。翌日(金)からイースター、続いて休暇なので気分もウキウキ。ところが、、、

フライトが遅れたので結局家に着いたのは午後4時頃であったが、玄関を入るなり娘が吐き気を催してトイレに直行するのに出くわす。聞くと、前日から双子の一人(兄)が吐いて下痢だと。間もなく子供たちの間でみるみる感染し、出張中に我が家は病棟と化していた。そしてその日から双子の弟にも症状が。この日からイースターが明けるまで、家の中はまるで動物園の檻の中のごとく、すさまじい状況であった。一時期は10分に一度はオムツを換え、その度に服も汚れるので着替えさせ、洗濯機は休みなくまわっていた。下の二人のうち、特に弟の方は何回も吐き、食べては吐き、吐いては食べ、飲んでは吐き、、、を繰り返すのでぐったりと元気なく心配であったが、水分は欠かさず補給し(それも吐いてしまうのであるが)、万が一症状が悪化するようであれば医者に連れて行くつもりでいた。また、下痢もひどく殆ど水のようなので、オムツに留まらずズボンやタイツもシミだらけ、夜寝ている間は寝袋も汚れるので真夜中に起きて着替えさせ、こっちもへとへと。抱っこしている間に突然吐くので、自分たちも着替えがどんどんなくなっていく。家の中は悪臭が充満しているのであるが、もう気にならなくなっている。たまに外から帰ってくると「おや、何かにおうな」とようやく気づく。

イースター最終日の月曜日には、それでも大分おさまったものの、双子の方は下痢は相変わらず続いていた。そしてクライマックスはイースター明けの水曜日。いつものように下の二人を昼寝させ、近所の日本料理屋で買ってきたランチをベランダで食べていると(この日は天気も良く気温も高かった)、ベビーフォンから何やらざわざわとという音が。いつものように、寝袋から飛び出してうろつきまわっているのだろうとたかをくくり、しばらくほっておいたのが大失敗。偵察に行った家内が悲鳴を上げるので駆けつけてみると、、、双子の一人がベッドを飛び出してうろついているのであるが、バスルームの前の椅子の上に座っており、抱き上げてみると、、、XXXがのっかっているではないか!背中まで服は真っ茶っ茶。床もところどころ汚れており、まずは(泣き喚く本人はバスタブにとりあえず押し込んだ上で)慎重に床・壁や家具をチェック。踏まないようにそろそろと動きながら汚れを拭き取るのであるが、泣き喚く弟の声に起こされて兄貴の方も目を覚ましてしまった。

それでも、「少なくとも下痢の症状は和らいだ、よかったよかった」とお互いなだめ合い、現実は早いとこ忘れようと(本人も忘れて欲しいでしょうね)努めることにした。

しかし、親二人ともうつされずに済んだことは、不幸中の幸いである。