兄弟愛が芽生えた瞬間であった。
と書くと大抵の人は美しい光景を思い描くに違いない。ところが現実は少し違う。真の兄弟愛とは、臭く、匂いを伴うものでもあるのである。
ある日曜日、家族全員でライン川沿いに散歩に行った。どんぐりたちは、Laufradと呼ばれるペダルのない自転車に乗っていた。ペダルがないのでテケテケと足で土を蹴って前に進むのである。
ライン川についたはいいが、突然どんぐりの一人、えゆが先に進まなくなった。頑として降りるときかないのである。怪しいと思ったところ、予感は的中した。つまり、オムツがいっぱいでサドルに座っていると気持ち悪いというわけだ。
とりあえず近くには美術館があり、そこのトイレは一般でも使えるので、オムツ道具一式とえゆを抱いてそちらに向かった。すると、しばらくすると他のメンバーも後からついて来るではないか。どうしてかと聞くと、かゆも全く同じ状況らしい。
それなら二人一緒に済ましてしまおうと美術館のトイレにえゆかゆを連れて入っていった。
ところが、デパート等とは違い、おむつを替えるスペースがない。仕方がないので障害者用のトイレに入った(中が広々としているので)。床は綺麗だったので、オムツシートを床に広げてえゆを寝かせズボンを脱がした。
お尻を拭いていると、なにやら痛そうに泣き出した。きっとXXXをしてから大分経っていたのであろう。すり切れているのかもしれない。そっと拭くのだが、やはりピーピーと痛そうな声を出す。
すると、予想もしていなかった事が起きた。この間、かゆは同じトイレに入って横で見ていたのだが、痛そうに泣くえゆを見ると手を差し伸べてギュッと手を握り締めたのである。えゆが可愛そうになり、励まそうとして出た行動に間違いはない。えゆも、かゆの意図がとっさにわかり、嬉しそうに笑顔を見せるとギュッと手を握り返した。えゆは痛さをこらえることが出来、おかげでお尻を拭くこちらとしても楽になった。
次はかゆの番になり、オムツの取替えに入ったが、こちらはお尻が痛くもないのに手をえゆに差し伸べるではないか。えゆもこれは半ば遊びであるとわかっていながら、あたかもかゆを励まそうとするかのように手を握り返した。二人とも楽しそうに笑っていた。
兄弟愛が芽生えた瞬間であった。
2011年3月20日日曜日
2011年3月8日火曜日
大の風呂嫌い
これも1ヶ月程前のことであろうか。事件は風呂場で発生した。
どんぐりのうち、「かゆ」は特にお風呂が大好きであった。「であった」という過去形からも推測されるように、途中から「でなくなった」のであるが、実は今はまた「好き」になっている。途中の紆余曲折についてこの一ヶ月の出来事を紹介しよう。
髪の毛を洗う時、バスタブに座ったままの状態で頭からお湯をかけるのであるが、「上向いてごらん」というとあごを突き出して前方斜め約30度に顔を上に傾斜させる。それから頭のてっぺんからお湯をかけると通常はお湯は後ろ髪をつたって後方に落ちていく。したがって、顔面はセーフである。こうしておいてから、シャンプーをつけてごしごし洗い、また「前方斜め30度」に顔を上げさせてお湯をかける。いつもこうしていたのでルーティーン化し、本人達もよく心得たものであった。
ところが。我の強いかゆは、あるとき髪の毛を洗われるのを拒んだ。髪の毛は最後に洗うことになっているため、髪の毛を洗うとその後は大好きなお風呂からあがらないといけない。「でもまだお風呂で遊んでいたい、だからまだ髪の毛は洗って欲しくない」とこの小さな頭で考え、抵抗を試みたのである。かゆ的表現を借りると、「こんぷこんぷ(お風呂のこと)、ばいばい、ないない」なのである。つまり翻訳すると、「お風呂からまだあがりたくない」のであった。
そうはいってももうかれこれ20分近く入っているし、そろそろお湯も冷えてきた頃。なだめすかしても言うことをきく気配は全くない(かなりの強情者なのである)。髪を洗った後もドライヤーで髪の毛を乾かし、タオルで体をふき、寝袋にくるませてベッドに連れて行き、お話を一冊読み聞かせることになっている。眠りにつくまでの工程はまだまだ長い。今から髪の毛を洗い始めないと夜遅くなってしまう。かといってもう三日くらい髪の毛を洗っていない。今晩何としても洗わんと。父は心の中で焦っていた。
「今洗うべし」と判断した父は、情け容赦なくお湯を髪の毛にかけ始めた。まずお湯で髪の毛を濡らしたところが、普段は命令通りに「前方斜め30度上」に顔を傾斜するはずのかゆが、全身で拒絶を表現し頭を縦横にぶんぶん振り出した。当然のことながら、引力の法則にしたがってお湯はかゆの顔面や側面の耳の横を流れ落ちた。流れ落ちるお湯は支流を作り、耳の穴や目の中にも少し入り込んだ。
そこからの光景は想像にまかせるが、それは凄まじいものであった。阿鼻叫喚。かゆは屈することなく徹底抗戦を決意し、顔を真っ赤にしてさらに必死の抵抗を試みた。こちらとしてはとりあえず始めてしまったので、すかさずお湯をかけるも、相手が動き回るため手元も狂いがちとなり、今度はもろに顔面をお湯が流れ落ちた。口や鼻にも少しかかった模様。またまた叫喚。激しい抵抗。この繰り返し。
シャンプーをつけて洗い始めるも、この状態では到底続けることは出来なかった。途中で止めたものの、やはり興奮はおさまらず、風呂からあがって乾かしている間中もわんわん泣いていた(泣くと相当うるさい)。母親が来て慰めるとようやく静まったが、本人には相当ショックだったに違いない。
二日後、また風呂に入った際にもこの出来事をよく覚えており、髪の毛にかけるお湯をコップに入れるのを見るともう青ざめた顔をして立ち上がって風呂から逃げ出そうとする。仕方がないのでその日は見合わせたが、次の時にはさすがに洗わざるを得ないので、また強制しようとするとこれまでにない凄まじい抵抗に合った。最後は自分が裸になってバスタブに入り、泣き叫ぶわが子を羽交い絞めにしている間、手伝いに来た母親がコップで頭からお湯をかけ、シャンプーをするという手段を講じた。二人がかり、体を張っての大仕事である。その間、まるで網にかかった猛獣が必死の抵抗をするかの如く、暴れ続けるのをがっちり抑えていなくてはならない。耳を劈くものすごい叫び声(こんな大声だせるのかこいつ、と半ば驚嘆した)。一歩間違えば幼児虐待である。そうはいっても髪の毛を洗わないでほうっておく訳にはいかない。
こうしたことが数回続いた。挙句の果てはお風呂の蛇口をひねる音を聞くと「ないない、ないない」と泣きそうな顔をして自分の頭を手で指差して嘆願しにくる始末。 「お風呂で髪を洗うのはやめて頂戴」と必死に訴えかけるのである。そして「ぷーぷー、ぷーぷー」とお尻を指差して訴える(「お尻だけ洗って頂戴」と)。
毎回洗うわけではなく、髪の毛さえ洗わなければ機嫌よく遊んで普通にしているところから、お風呂自体は嫌いなわけではない。問題は「洗髪トラウマ」なのである。さて、どうしたものか。解決策は中々思い浮かばず、しばらくは「二人がかり、体を張っての洗髪作業」が続いた。
(「大の風呂嫌い ―解決編」に続く)
どんぐりのうち、「かゆ」は特にお風呂が大好きであった。「であった」という過去形からも推測されるように、途中から「でなくなった」のであるが、実は今はまた「好き」になっている。途中の紆余曲折についてこの一ヶ月の出来事を紹介しよう。
髪の毛を洗う時、バスタブに座ったままの状態で頭からお湯をかけるのであるが、「上向いてごらん」というとあごを突き出して前方斜め約30度に顔を上に傾斜させる。それから頭のてっぺんからお湯をかけると通常はお湯は後ろ髪をつたって後方に落ちていく。したがって、顔面はセーフである。こうしておいてから、シャンプーをつけてごしごし洗い、また「前方斜め30度」に顔を上げさせてお湯をかける。いつもこうしていたのでルーティーン化し、本人達もよく心得たものであった。
ところが。我の強いかゆは、あるとき髪の毛を洗われるのを拒んだ。髪の毛は最後に洗うことになっているため、髪の毛を洗うとその後は大好きなお風呂からあがらないといけない。「でもまだお風呂で遊んでいたい、だからまだ髪の毛は洗って欲しくない」とこの小さな頭で考え、抵抗を試みたのである。かゆ的表現を借りると、「こんぷこんぷ(お風呂のこと)、ばいばい、ないない」なのである。つまり翻訳すると、「お風呂からまだあがりたくない」のであった。
そうはいってももうかれこれ20分近く入っているし、そろそろお湯も冷えてきた頃。なだめすかしても言うことをきく気配は全くない(かなりの強情者なのである)。髪を洗った後もドライヤーで髪の毛を乾かし、タオルで体をふき、寝袋にくるませてベッドに連れて行き、お話を一冊読み聞かせることになっている。眠りにつくまでの工程はまだまだ長い。今から髪の毛を洗い始めないと夜遅くなってしまう。かといってもう三日くらい髪の毛を洗っていない。今晩何としても洗わんと。父は心の中で焦っていた。
「今洗うべし」と判断した父は、情け容赦なくお湯を髪の毛にかけ始めた。まずお湯で髪の毛を濡らしたところが、普段は命令通りに「前方斜め30度上」に顔を傾斜するはずのかゆが、全身で拒絶を表現し頭を縦横にぶんぶん振り出した。当然のことながら、引力の法則にしたがってお湯はかゆの顔面や側面の耳の横を流れ落ちた。流れ落ちるお湯は支流を作り、耳の穴や目の中にも少し入り込んだ。
そこからの光景は想像にまかせるが、それは凄まじいものであった。阿鼻叫喚。かゆは屈することなく徹底抗戦を決意し、顔を真っ赤にしてさらに必死の抵抗を試みた。こちらとしてはとりあえず始めてしまったので、すかさずお湯をかけるも、相手が動き回るため手元も狂いがちとなり、今度はもろに顔面をお湯が流れ落ちた。口や鼻にも少しかかった模様。またまた叫喚。激しい抵抗。この繰り返し。
シャンプーをつけて洗い始めるも、この状態では到底続けることは出来なかった。途中で止めたものの、やはり興奮はおさまらず、風呂からあがって乾かしている間中もわんわん泣いていた(泣くと相当うるさい)。母親が来て慰めるとようやく静まったが、本人には相当ショックだったに違いない。
二日後、また風呂に入った際にもこの出来事をよく覚えており、髪の毛にかけるお湯をコップに入れるのを見るともう青ざめた顔をして立ち上がって風呂から逃げ出そうとする。仕方がないのでその日は見合わせたが、次の時にはさすがに洗わざるを得ないので、また強制しようとするとこれまでにない凄まじい抵抗に合った。最後は自分が裸になってバスタブに入り、泣き叫ぶわが子を羽交い絞めにしている間、手伝いに来た母親がコップで頭からお湯をかけ、シャンプーをするという手段を講じた。二人がかり、体を張っての大仕事である。その間、まるで網にかかった猛獣が必死の抵抗をするかの如く、暴れ続けるのをがっちり抑えていなくてはならない。耳を劈くものすごい叫び声(こんな大声だせるのかこいつ、と半ば驚嘆した)。一歩間違えば幼児虐待である。そうはいっても髪の毛を洗わないでほうっておく訳にはいかない。
こうしたことが数回続いた。挙句の果てはお風呂の蛇口をひねる音を聞くと「ないない、ないない」と泣きそうな顔をして自分の頭を手で指差して嘆願しにくる始末。 「お風呂で髪を洗うのはやめて頂戴」と必死に訴えかけるのである。そして「ぷーぷー、ぷーぷー」とお尻を指差して訴える(「お尻だけ洗って頂戴」と)。
毎回洗うわけではなく、髪の毛さえ洗わなければ機嫌よく遊んで普通にしているところから、お風呂自体は嫌いなわけではない。問題は「洗髪トラウマ」なのである。さて、どうしたものか。解決策は中々思い浮かばず、しばらくは「二人がかり、体を張っての洗髪作業」が続いた。
(「大の風呂嫌い ―解決編」に続く)
えゆかゆ
どんぐりたちは「かい」というと自分のことだとこれまで信じてきた。
自分たちでなくとも、小さな子供や、動物の赤ちゃんを見ても「かい」と呼んできた。
ところが、ここ1ヶ月の間に変化が生じた。どんぐりの一人、弟分の方が自分のことを「えゆ」と呼び出し、「かい」とか「かや」とか呼んできた自分の兄弟と明確に区別し始めたのである。精神的に独立し自我の意識が芽生えた瞬間であった。
もう「おいらたち、かい」ではなく「あいつはかい、おれはえゆ」である。
二人合わせて「えゆかゆ」または「かゆえゆ」としよう。
大きな一歩。毎日個性が磨かれ、形作られていっている。
自分たちでなくとも、小さな子供や、動物の赤ちゃんを見ても「かい」と呼んできた。
ところが、ここ1ヶ月の間に変化が生じた。どんぐりの一人、弟分の方が自分のことを「えゆ」と呼び出し、「かい」とか「かや」とか呼んできた自分の兄弟と明確に区別し始めたのである。精神的に独立し自我の意識が芽生えた瞬間であった。
もう「おいらたち、かい」ではなく「あいつはかい、おれはえゆ」である。
二人合わせて「えゆかゆ」または「かゆえゆ」としよう。
大きな一歩。毎日個性が磨かれ、形作られていっている。
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